舞鶴って?

観光案内

海軍ゆかりのまち

東郷邸

1901(明治34)年10月1日、舞鶴鎮守府が開庁。初代司令長官は東郷平八郎です。市内には司令長官官舎「東郷邸」や旧海軍機関学校大講堂を使用した「海軍記念館」といった旧海軍ゆかりのさまざまな文化財が残るほか、現在は海上自衛隊舞鶴地方総監部が置かれ、自衛隊桟橋では土日、祝日には護衛艦が一般公開されている。

市街地の通名には艦船名

1945(昭和20)年8月15日、玉音放送をもって日本は連合国に降伏し、第二次世界大戦はひとたび終結を迎えた。一方で、旧満州をはじめとする中国大陸や朝鮮半島、樺太、東南アジアの各地には軍人や民間人などおよそ660万人の日本人が残されていました。

その皆さんが日本へ帰国することを「引き揚げ」と呼び、舞鶴港では終戦後、中国大陸や朝鮮半島からの引き揚げのほか、シベリアで強制労働を強いられた人々の引き揚げ港として、13年間、およそ66万人の引揚者を受け入れました。市は、引揚者を最後まで温かく迎え入れました。

市では、引揚記念館で引き揚げてこられた抑留者の皆さんから寄贈を受けた貴重な資料を収蔵、展示しており、2015(平成27)にはユネスコ世界記憶遺産に資料570点が登録されました。

舞鶴引揚記念館

館内

抑留生活体験室

城下町

西舞鶴には田辺城が置かれ、細川家が藩主を務めました。中でも細川幽斎は室町幕府12代将軍足利義晴の息子にあたるとされ、将軍家や公家と密接な関係にあったとされます。和歌や茶道、書道など文人として高い才能を持っていたと伝えられ、歌道の奥義「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者であった。関ヶ原の合戦の2か月前には、徳川方についた細川家が1万5千人の西軍に攻め込まれ、500人ほどの軍勢で迎え撃った「田辺城籠城戦」では、歌道の達人である幽斎の討死を憂いた後陽天皇が勅命を送り、戦を集結させたという逸話が残っています。

細川幽斎(1534〜1610)
足利義昭、織田信長などに仕えた安土桃山時代の武将。市内には、金剛院庭園や年取島など幽斎ゆかりの史跡や伝承が数多く残っています。

食文化

舞鶴市にはさまざまな魅力ある食文化があります。

東郷平八郎が部下に作らせたことで発祥したと言われる肉じゃがや、旧海軍時代から船員に食べられ、現在でも金曜日の昼食に必ず提供されるというカレーなどの旧海軍ゆかりのグルメをはじめ、舞鶴港近海でとれた鮮魚のすり身をふんだんに使った「舞鶴かまぼこ®」、上質なズワイガニである「舞鶴かに®」、三方を山で囲まれ、ミネラル豊富な川の水が流れ込む舞鶴湾で通常の倍ほどにまで成長する「丹後とり貝®」や「育成岩がき」など季節ごとに特産品があります。また、舞鶴が発祥の地とされる京野菜で100年以上の歴史を持つ京のブランド野菜「万願寺甘とう(まんがんじあまとう)」や大きく広がった葉が特徴で煮崩れしにくい「佐波賀(さばか)だいこん」や、全国茶品評会で5年連続日本一に輝いた「舞鶴茶」は宇治茶の原料にもなっています。

かまぼこ

岩がき

丹後とり貝

佐波賀だいこん

舞鶴茶

万願寺甘とう

舞鶴かに